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【グルメの迷宮】石見銀山の銀シャリ◆他郷阿部家[石見銀山]

13/08/05 |散歩の達人編集部より|

 羽田から飛行機で約90分。出雲空港に着いたら、ひたすら平たい出雲の大地を空港バスで進み、最寄りのJR出雲市駅に向かう。そこで電車に乗り換え、車窓に広がる日本海の素朴な風景に見とれながら大田市駅に20~30分で到着。またもやバス・車に乗り換え、なだらかに続く山道を進むこと20~30分。お疲れさま~とたどり着くのが石見銀山である。飛行機込みで3時間といったところ。旅行したぞっ、と適度に思える道のりである。

 石見銀山は、その昔、戦国から江戸時代にかけて活況を呈した日本最大の銀山である。
 16世紀には世界で流通した3分の1が日本の銀で、その大半がここで採掘された。2007年に銀鉱山跡がアジア初の世界遺産にも登録。となれば、どどんと観光地化しちゃって、押し寄せる観光客で大混雑は必至、行ってもぐったりするだけでしょうよ……なんて、自分もそんなふうに思っていた時期も、ええありましたとも。

 ところが、この世界遺産、行ってみると実に地味なんですなあ。
 採掘そのものはとっくの昔に終わっていて、間歩(まぶ)と呼ばれる坑道の跡が残っているだけ。それと資料館、あとは伝統的建物保存地区となっている「大森町」という街道沿いの渋い集落がある程度。世界遺産に指定された直後はそれなりに賑わったそうだけど、最近はすっかり落ち着きを取り戻しているとかで、まったり散歩好きには、空いていてのんびりできる雰囲気がとてもよろしいのである。

 ことによろしいのが大森町の集落である。

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 代官所跡や武家屋敷などが点在する古風な街並みで、観光地化しすぎているわけでも、寂れているわけでもない。山間の生活に根ざした人々の活気が、町に静かに滲み出ていて、どことなく明るく心地よい。
 景観をしっかり配慮しつつ、ちょいとした土産物屋が数軒。昔風の床屋とか、手作りパン屋。さらには全国展開しているハイセンスな和雑貨店・群言堂(実はここが本店)に、ハイ・レベルのエスプレッソが飲めるカフェ・カリアーリとか、とんでもねえものまで紛れ込んでもいて、ううむである。

 そしてそんな中に、ひょこっとあるのが「他郷阿部家」である。
 石見銀山を治める代官所地役人の武家屋敷だった建物で、建てられたのは寛政十二(1789)年。それを手直しして08年から1日3組限定の宿として営まれている。
 宿の名前は、質素な入口の足元の瓦に印されているだけ。

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 おずおずと敷地に入ると、緑に囲まれた庭が目の前にふわっと広がる。間をぬって続く石畳の先にあるのは、落ち着いた日本家屋。

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 若い武士が木刀の素振りに精を出し、それを浴衣姿の姉が、おっとりウチワを煽ぎつつ縁側から見守っている、なんてシーンに遭遇してもおかしゅうない雰囲気ですなあ。こりゃたまらんと時代劇ファンなら、ここで墜ちるであろう。

 暖簾をくぐり、「お世話になります~」と、土間の玄関に踏み入る。若いスタッフの肩肘貼りすぎぬ接客が、建物の醸し出す緊張感を適度にほぐしてくれる。さっそく通された部屋は、鴨居が見事な奥座敷だった広い場所。

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 照明を抑え、心地よい陰りが屋敷の歴史と共に部屋を包んでいる。聞こえてくるのは、そよ風やかすかな自然音だけ。谷崎潤一郎の「陰影礼賛」の愛読者なら、これで参るであろう。
 近所の散策後、いい具合に温めておいてくれた風呂場がまたスゴイ。作家ものの浴槽を中央に配したセンスの塊のような空間だ。

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 ここで、自家製ミントをひと束を放り込んだ湯船の側に和ロウソクを立て、磨りガラス戸越しに山の夕暮れを眺めながら湯船に浸かるのである。ぐううう。五感に染み入る心地よさに思わず呻く。風呂マニアなら、浸かり続けてふやけてしまっていいと思うはずだ。

 そして夕飯。
 昔ながらの土間を残した広い台所の一角に大きな食卓があり、宿泊客たちはここを囲んで、地のモノの素材を用いた料理に舌鼓を打つことになる。

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 港も近いから海の幸も登場。この日は、黒ごま豆腐、丘ひじきのごま和え、青豆おからのサラダ、トマトの甘酢漬け、がんもの煮物、地鶏の炭火焼き。夏野菜の揚げ浸し、のどぐろの塩焼き……等々14品。

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 日本酒もいろいろあるでよ。素材の良さで食べさせる家庭料理の延長みたいな品揃えで、この場合、かえってそれが楽しい。食事の席には、基本的に女主の松場登美さんが同席して食事を共にする。

 松場さんは、ご主人の実家のあるこの地に嫁いで来て以来、すっかりこの地に魅入られ、ここが生涯の地であると確信したお方。復古創新(ふっこそうしん)──古き良きものをよみがえらせ、そのうえ新しい時代の良きものを創っていくことを信条に、和布を用いたセンスよきオリジナル雑貨や衣類をいち早く手がけ、今や全国展開するに到っている。それが「群言堂」で、本店が山奥のこの町にある所以である。
 本店も一見の価値大いにありで、こちらも築200年の古民家を修復したもの。修復といっても、博物館的な過去の完全な再現ではなく、復古創新の信条から、内部は今風の要素をとりこんだモダンな店である。都内だと西荻店がやはり古民家を改築した店で、一見の価値あり。

 他郷阿部家もそこは同じで、実は30年近く放置されていた廃屋状態だったものを、10年の手間暇をかけて修復した建物である。土間の食卓の椅子は、廃校となった小学校の子供椅子だったり、備品の木製の棚を食器用に使っていたりする。いわば過去に現在を上手に「接ぎ木」して、生きた場として活用しているのである。
 ちょっと大げさかもしれないけれど、この場所で食すことは、現代まで続くこの建物の歴史と風土をまるごと食べることでもある。なかなか味わえるものじゃないっすよ。
 控えめかつ示唆に富む話しぶりが印象的な松場さんを中心に、楽しく語らいあっと言う間に時が過ぎていく。
 〆に出てくるのが土鍋炊きのおにぎりと、ご近所宍道湖の名産しじみ汁である。

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 しじみ汁の深いコクと、塩だけで味付けした銀シャリおにぎりが、口をきっちりまとめあげ、芳醇な食後感を持って席を立つのであった。

 他郷阿部家は1泊2万5200円。決して安くはない。ボッているのではなく、維持費や修復にかかったコストに基づく結構ギリギリの金額なのだとか。ご馳走のひとつと言える風呂に華美を排した地元メシ、闇がしっかり地面まで降りてくる静かな夜と、さわやかな朝の散策までついてお値段だ。下手な高級旅館や、海外旅行より充実した一時が得られるだろう。
 人を選ぶかもしれないが、喧噪に疲れ果て、静謐さを求める向きには心底リラックスできる心の湯治場でなのである。

(写真・文=奥谷道草)


DATA 

他郷阿部家
1泊2万5200円(2食付) 島根県大田市大森町ハ159-1 チェックイン15時~チェックアウト11時 TEL/FAX 0854-89-0022 http://www.takyo-abeke.jp/