『JR時刻表』の前身である『全国観光時間表』創刊号(1963年5月号)の誌面の一部を、『JR時刻表』2023年4月号~12月号の発売日に毎月数ページずつ公開します(全9回)。60年前の時刻表で誌上旅行をお楽しみください。
【第1回】東海道本線
東京~名古屋~大阪間を結ぶ日本の大動脈
昭和30年代の日本の高度経済成長により、国鉄の輸送量は年々増加し、東海道本線の輸送力は限界に達していた。創刊当時は国鉄を代表する列車が顔をそろえた黄金期であり、東海道新幹線開業前の優等列車が発着する東京駅の姿を見ることができる。(解説=結解喜幸)
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【P.10】国鉄初の電車特急151系が活躍
1958(昭和33)年11月に国鉄初の電車特急として東京~大阪・神戸間に2往復の〔こだま〕が登場した。1960(昭和35)年6月に電車化が行われた客車特急の〔つばめ〕〔はと〕を仲間に加え、東京~大阪間の〔こだま〕2往復、東京~大阪・広島間の〔つばめ〕2往復、東京~大阪間の〔はと〕1往復、東京~神戸・宇野間の〔富士〕2往復、東京~名古屋間の〔おおとり〕1往復の計8往復となっていた。12両編成の列車は1号車に1等展望車(パーラーカー)、2~4号車に1等車、5号車に食堂車、6号車に軽食堂のビュフェ車、7~12号車に2等車が連結されるという豪華編成で、国鉄唯一の車内電話(車内~東京都区内・名古屋市内・大阪市内相互間)がビュフェ車に設置されていた。なお、パーラーカーの乗客はどの座席からも電話ができるサービスもあった。下りの始発は東京7時発の〔第1こだま〕で名古屋着は11時13分、大阪着は13時30分。所要時間は東京~名古屋間が4時間13分、東京~大阪間は6時間30分で、政界・経済界の名士やビジネスマンに愛用されていた。《※ビュフェ車を示すコーヒーカップのマークは当時使用されてなかったため、上記時刻表上からは食堂車との違いが判断できなかった。ちなみに当時ビュフェ車が連結されたのは、電車特急151系と電車急行153系・165系・451系、客車急行〔彗星〕〔北斗〕であった。》
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【P.11】153系急行〔六甲〕〔いこま〕〔なにわ〕〔せっつ〕〔よど〕〔宮島〕
東海道本線の特急列車を補完するのが、電車急行153系であった。12両編成のうち1等車2両をビュフェ車が挟む形で連結され、東京~大阪間を約7時間30分で結んでいた。1962(昭和37)年6月の広島電化により登場した東京~広島間の〔宮島〕を含め、昼間6往復、夜行3往復が設定されていた。ビュフェ車には寿司職人も乗務し、軽食類と合わせてお好み寿司が提供されていた。車窓の風景を眺めながら、握りたての寿司を味わえる至福の時が過ごせたのである。特急よりも1時間余計にかかるが、差額の料金で寿司を楽しんだビジネスマンも少なからずいたであろう。《※ビュフェ車に寿司コーナーがあったのは東海道本線・山陽本線の電車急行のみで、東北本線・上越線・北陸本線の電車急行ではそばコーナーとなった。》
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【P.13】東京と九州を結ぶ20系寝台特急列車
1958(昭和33)年10月に登場した国鉄初の固定編成客車20系は、全車冷房完備という当時としては格段のサービスを誇っていた。急行列車はもちろん、特急列車の寝台車が非冷房という時代であり、2等座席車も含めて全車冷房完備という東京~博多間の〔あさかぜ〕は人気の的であった。毎年夏に20系車両が増備され、東京~長崎間の〔さくら〕、東京~西鹿児島間(当時)の〔はやぶさ〕の計3往復が20系客車で運転されるようになった。中でも元祖の〔あさかぜ〕は特別な列車で、14両編成6両が1等寝台個室(1人用・2人用)と1等寝台という豪華なラインナップ。後は食堂車、1等座席車、2等寝台車、2等座席車が連結されていた。東京~西鹿児島間の〔はやぶさ〕は日本一の長距離を走る特急列車で、所要時間は22時間30分とほぼ1日を列車の中で過ごすものであったが、冷房完備の20系客車に置き換わってからは非常に楽な旅となった。一方、東京~鹿児島間の急行〔霧島〕の所要時間は26時間33分と1日以上を非冷房の2等寝台車や2等座席車(4人ボックス席)で過ごすだけでなく、当時は広島以遠で蒸気機関車が牽引する区間があり、夏は暑さと煤煙に苦しめられたという。当時の長距離移動がいかに大変であったかは、各列車の所要時間を見れば分かるであろう。《※当時の寝台車は1等寝台がA(個室)・B・Cの3タイプ、2等寝台は枕木方向にベッドが並ぶ3段寝台であった。》《※東京~熊本・大分間の〔みずほ〕は一般形客車で、1963(昭和38)年6月に20系化された。》
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【P.14】東京~関西・九州間の夜行急行列車
東京駅19時50分から22時30分までの間は、関西・山陽・山陰・九州方面などの夜行急行列車が10分間隔(20時50分発は臨時列車・22時20分は運転なし)で発車するゴールデンタイムであった。中でも東京~大阪・神戸・広島間の夜行急行列車は寝台急行が7本、座席車の電車急行が4本設定されていたが、どの列車も東京~大阪間を行き来するビジネスマンで満席になったという。当時は1列車ごとに列車名を付けていたが、それでも足りなくなった場合は「第1」「第2」と列車名に付けるのが慣例となっていた。東京~大阪・神戸間の寝台急行列車は〔銀河〕〔明星〕〔彗星〕〔あかつき〕〔月光〕〔金星〕と天体に関する列車名が付けられていたが、後に〔銀河〕以外の列車名は関西から九州方面の寝台特急列車に転用されている。
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【地図】中部・関西エリアの巻頭地図
東海道本線の沿線には清水港線(清水~三保間・廃線)、福知山線(塚口~尼崎港間・廃線)、第三セクター化された二俣線(掛川~新所原間)、樽見線(大垣~美濃神海間)などがある。北陸本線は木ノ本~敦賀間の旧線が柳ケ瀬線(1964〈昭和39〉年廃止)として残っているほか、膳所駅から浜大津駅・近江舞子駅を経由して近江今津駅までの路線がある。現在の湖西線のルートだが、当時はローカル私鉄の江若(こうじゃく)鉄道の路線であった。湖西線は同鉄道の廃線跡を利用して建設されたもので、1974(昭和49)年7月に湖西線として全通している。このほか、この地図内には、廃線となった国鉄線・私鉄線の路線がある。
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『JR時刻表』は2023年、前身の『全国観光時間表』から創刊60年を迎えます。これを記念し、読者の皆さまへの感謝の気持ちを込めて、2023年4月号から12月号にかけて「時刻表60年」特別企画を本誌およびスペシャルサイトなどで実施中!