『JR時刻表』の前身である『全国観光時間表』創刊号(1963年5月号)の誌面の一部を、『JR時刻表』2023年4月号~12月号の発売日に毎月数ページずつ公開します(全9回)。60年前の時刻表で誌上旅行をお楽しみください。
【第3回】北海道各線
函館と札幌・釧路・稚内・網走を結ぶ幹線
青函連絡船が発着する函館と小樽・札幌・旭川を結ぶ函館本線(東室蘭を経由する室蘭本線・千歳線)、函館本線滝川と釧路・根室を結ぶ根室本線、函館本線旭川と稚内を結ぶ宗谷本線、旭川と網走を結ぶ石北本線の幹線があり、函館から各線に直通する優等列車が運転されていた。(解説=結解喜幸)
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【P.168】函館本線・室蘭本線・千歳線・青函航路
上野~青森間の1D特急〔はつかり〕~青函連絡船1便に接続するのが、北海道内で、当時唯一の特急列車である1D特急〔おおぞら〕であった。運転区間は函館~旭川・釧路間で、途中の滝川駅で分割。食堂車付きの編成は根室本線に入り、終着の釧路駅を目指した。上野駅から釧路駅まで、特急列車を乗り継いでも所要時間は25時間55分であった。青函連絡船1便には上野~青森間の11列車〔みちのく〕も接続し、札幌行11列車〔大雪〕に乗り継ぐことができた。同じく13列車〔北上〕~13便~網走・稚内行13D〔オホーツク〕〔宗谷〕、17列車〔北斗〕~17便~釧路行17列車〔まりも〕、19列車〔いわて〕~19便~札幌行19D〔すずらん〕と言うように、東北本線・函館本線の列車番号と青函連絡船の便名がわかりやすいように揃えられていた。
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【P.176】宗谷本線・天北線
青函連絡船13便・14便に接続する2303D・2304D〔宗谷〕(函館~旭川間13D・14D〔オホーツク〕と併結)が本州連絡の急行列車で、上野駅から稚内駅までの所要時間は30時間15分であった。夕食は食堂車、翌日の朝食は青函連絡船、昼食と夕食は駅弁であったのだろう。駅に着くと列車の窓を開け、ホームを行き交う立売の駅弁を買うのが、当時の光景であった。また、札幌~稚内間の夜行の準急〔利尻〕には、1等寝台車C室と2等寝台車の連結マークが記されている。1等寝台車はA・B・C室の3タイプがあり、C室は非冷房などグレードが落ちる存在であった。北海道内では準急〔石北〕〔利尻〕などに連結されていたが、順次冷房化が進み、B室に区分が変更されていった。ちなみに寝台料金は、A室下段は2,530円、B室下段は1,980円、C室下段は1,430円であった。 また、今は廃線となった天北(てんぽく)線経由の急行〔天北〕なども運転されていた。
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【P.180】石北本線・名寄本線
函館~網走間を結ぶ本州連絡の急行13D・14D〔オホーツク〕が運転されていた石北本線。網走6時30分発の14Dは札幌着が13時01分、函館着は17時50分。青函連絡船14便に乗り継ぐと青森着は22時50分。青森発23時25分の常磐線経由の急行14列車〔北上〕に接続し、上野駅に到着するのは翌日の12時48分で、所要時間は30時間18分であった。札幌~網走間には、気動車急行〔はまなす〕と1・2等寝台車を連結した客車準急〔石北〕が運転。朝の通勤・通学時間帯となる〔石北〕の北見~網走間は、普通列車として運転されていた。また、当時は「循環列車」が全国各地にあり、旭川発旭川行の準急〔旭川〕が名寄本線を経由して運転されており、宗谷→名寄→石北、石北→名寄→宗谷の左右回りが同じ列車名であった。
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【P.184】釧網本線・標津線・留萌本線
知床半島・摩周湖・屈斜路湖・川湯温泉・尾岱沼(おだいとう)など、道東の観光地を結ぶ釧網本線と標津線。北見~網走~釧路間の準急〔しれとこ〕、網走~釧路間の準急〔わこと〕、根室中標津~釧路間の準急〔らうす〕が優等列車として運転。普通列車は気動車と蒸気機関車牽引の客車列車が使用されていたが、客車列車は貨車も連結された混合列車として運転。ローカル線では日常的に見ることのできる光景であった。また、一部区間(深川~石狩沼田間)を残して廃止された留萌本線には、札幌~深川~留萌~幌延間を羽幌線を経由して結ぶ急行〔はぼろ〕や小樽~深川~増毛間を結ぶ準急〔るもい〕のほか、深川から留萌本線・石狩沼田・札沼線を経由して札幌を結ぶ普通列車が運転されていた。
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【地図】北海道の巻頭地図
現在のJR時刻表の巻頭地図と比べてみると、数多くの路線が廃止となったことがわかるだろう。この地図内で最初に廃止となったのは、胆振(いぶり)線(京極~脇方間)と、釧網本線斜里駅から分岐し、越川駅を結んでいた根北(こんぽく)線(1970〈昭和45〉年廃止)。1964(昭和39)年10月に開業し、日本一の赤字路線として話題になった美幸(びこう)線(宗谷本線美深〈びふか〉~仁宇布〈にうぷ〉間)はこの時刻表が発売された1963(昭和38)年当時は未開業。札幌と釧路を短絡する石勝線(1981〈昭和56〉年10月開業)も当時は未開業で、その一部区間となる追分~登川間は夕張線であった。石狩炭田を中心とした道央エリアには石炭輸送を担う国鉄線と私鉄線があり、当時は石炭産業が盛んであったことがわかる。
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『JR時刻表』は、前身の『全国観光時間表』から2023年で創刊60年。これを記念し、読者の皆さまへの感謝の気持ちを込めて、2023年4月号から12月号にかけて「時刻表60年」特別企画を本誌およびスペシャルサイトなどで実施中!