『JR時刻表』の前身である『全国観光時間表』創刊号(1963年5月号)の誌面の一部を、『JR時刻表』2023年4月号~12月号の発売日に毎月数ページずつ公開します(全9回)。60年前の時刻表で誌上旅行をお楽しみください。
【第7回】北陸本線・信越本線・上越線
大阪・東京と北陸・上信越を結ぶ幹線
米原駅から福井駅・金沢駅・富山駅を経由して直江津駅を結ぶ北陸本線と、高崎駅から長野駅・直江津駅を経由して新潟駅を結ぶ信越本線は、直江津駅で接続する幹線であり、東京・大阪から北陸への優等列車が運転されていた。東京と新潟を短絡する路線として、高崎駅から宮内駅までの上越線がある。(解説=結解喜幸)
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【P.50】急行〔つるぎ〕〔能登〕〔加越〕〔しらゆき〕・北陸本線・七尾線・能登線
大阪駅から福井・金沢・富山方面への夜行列車として、急行〔つるぎ〕(大阪駅発の富山駅行き寝台専用列車)、急行〔第2加賀〕(大阪駅発の金沢駅行き)があった。1963(昭和38)年4月に北陸本線は金沢駅まで電化が完成し、敦賀駅発の金沢駅行き準急〔越前〕や大阪駅発の金沢駅行き急行〔加賀〕〔ゆのくに〕が471系交直流電車で運転されていた。また、東海道本線を経由する東京駅発の金沢駅行き急行〔能登〕、高山本線を経由する金沢駅発の名古屋駅行き急行〔加越〕、信越本線・羽越本線を経由する金沢駅発の秋田駅行き急行〔しらゆき〕など、北陸の中心都市・金沢へのアクセスが充実していた。七尾線・能登線には金沢駅発の輪島駅行き準急〔へくら〕や金沢駅発の宇出津駅行き準急〔そそぎ〕、金沢駅発の輪島・宇出津駅行き準急〔つくも〕〔のとじ〕が運転され、能登半島の観光急行の役割を果たしていた。
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【P.51】キハ80系気動車特急〔白鳥〕・急行〔きたぐに〕・準急〔こがね〕〔しろがね〕
北陸本線の華と言えるのが大阪~青森・上野間のキハ80系気動車特急〔白鳥〕。大阪~直江津間は青森編成と上野編成が併結され、食堂車2両を組み込んだ12両編成(1963〈昭和38〉年10月から14両編成)の運転となった。上野編成は北陸で乗客が入れ替わる。そのため、大阪~金沢・富山・直江津間の乗客は、主に上野編成が割り当てられた。これは大阪から新潟・秋田・青森まで利用する乗客のための対応であった。大阪駅発の新潟駅行き急行〔きたぐに〕は和倉駅発着の準急〔奥能登〕を併結。気動車急行ならではの七尾線への直通運転を行っていた。このエリアにも循環準急列車が設定され、名古屋駅発の名古屋駅行き準急〔こがね〕(名古屋~米原~富山~岐阜~名古屋)と逆回りの準急〔しろがね〕が昼行・夜行の2本あった。
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【P.151】161系電車特急〔とき〕・急行〔佐渡〕〔越路〕〔北陸〕〔妙高〕〔黒部〕・準急〔越後〕〔ゆきぐに〕〔軽井沢〕
上野~新潟間を結ぶ特急〔とき〕は、東海道本線の特急〔こだま〕などに使用される151系電車を勾配線区用に改良した161系電車を使用し、1往復運転されていた。東海道・山陽本線の特急専用だったボンネットスタイルの華麗な車両が、初めて上野駅発着の特急列車に登場した。上野駅発の新潟駅行きに急行〔佐渡〕〔越路〕・準急〔越後〕、上野駅発の長岡駅行きに準急〔ゆきぐに〕、上野駅発の金沢駅行きに急行〔北陸〕、上野駅発の直江津駅行きに急行〔妙高〕、上野駅発の金沢駅行きに急行〔黒部〕などが運転。上野駅発の横川駅行き電車準急〔軽井沢〕は使用する車両(80系電車)の関係で、横川~軽井沢間はバス連絡だった。当時の横川~軽井沢間はアプト式で通過できる車両が限定され、編成両数も制限される難所であった。
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『JR時刻表』は、前身の『全国観光時間表』から2023年で創刊60年。これを記念し、読者の皆さまへの感謝の気持ちを込めて、2023年4月号から12月号にかけて「時刻表60年」特別企画を本誌およびスペシャルサイトなどで実施中!