『JR時刻表』の前身である『全国観光時間表』創刊号(1963年5月号)の誌面の一部を、『JR時刻表』2023年4月号~12月号の発売日に毎月数ページずつ公開します(全9回)。60年前の時刻表で誌上旅行をお楽しみください。
【第8回】中央本線・篠ノ井線・大糸線・飯田線
東京・名古屋と信州を結ぶ幹線と直通する支線
東京駅・名古屋駅と松本駅・長野駅を結ぶ中央本線と篠ノ井線を中心に、小海線、飯田線、大糸線、富士急行線(現・富士山麓電気鉄道)など直通列車が運転される支線があり、新宿駅発着と名古屋駅発着の急行・準急列車が設定されていた。(解説=結解喜幸)
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【P.43】急行〔アルプス〕〔白馬〕〔赤倉〕〔信州〕・準急〔のべやま〕
当時の電化区間は中央本線東京~甲府間・上諏訪~辰野間、飯田線全線、大糸線松本~信濃森上間で、急行・準急列車のほとんどが気動車運転であった。新宿駅発の松本駅行き急行〔アルプス〕、新宿駅発の糸魚川駅行き急行〔白馬〕、名古屋駅発の新潟駅行き急行〔赤倉〕、名古屋駅発の長野駅行き急行〔信州〕〔しなの〕などが優等列車で、新宿駅発7時00分の急行〔第1アルプス〕には河口湖駅行きの〔かわぐち〕と小諸駅行きの〔八ケ岳〕(小海線内は準急)が併結。気動車の優れているところは小単位編成でも運転できることで、併結・分割する多層建て列車に運用されていた。急行〔赤倉〕は篠ノ井線・信越本線を経由して新潟駅まで、急行〔信州〕は篠ノ井線を経由して長野駅まで運転。また、長野駅発の長野駅行きの循環準急列車が運転されており、長野~小諸~小淵沢~長野は準急〔のべやま〕、逆回りは準急〔すわ〕の列車名が付いていた。
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【P.44】急行〔上高地〕・準急〔穂高〕〔奥利根〕〔天竜〕〔伊那〕
新宿駅を午前中に発車する松本駅行きの列車には〔アルプス〕、午後に発車する列車には〔上高地〕と列車名が整理され、〔アルプス〕には第1~第3、〔上高地〕には第1・2と5本の急行列車が運転されていた。夜行列車は大糸線に直通する新宿駅発の松本駅行き急行〔第2白馬〕、新宿駅発の長野駅行き客車準急〔穂高〕(松本~長野間は普通列車)があり、〔穂高〕には1・2等寝台車が連結された。非冷房の寝台車であったため1等寝台C室の区分であったが、翌年には冷房化改造で1等寝台B室に変更となった。また、新宿駅発の甲府駅行き準急〔かいじ〕、新宿駅発の天竜峡駅行き準急〔天竜〕(辰野駅まで〔第1上高地〕に併結)、八高線・上越線を経由する新宿駅発の水上駅行き準急〔奥利根〕が運転。また、飯田線には上諏訪駅発の名古屋駅行き電車準急〔伊那〕が2往復運転されていた。特急・急行は列車名の頭に「第1」「第2」を付すが、準急は列車名の後に「1号」「2号」を付けていた。
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【P.48】急行〔しなの〕〔信州〕〔ちくま〕〔あずみ〕・準急〔きそ〕〔きそこま〕
名古屋~多治見~塩尻間は中央西線と呼ばれ、急行・準急列車は塩尻駅から篠ノ井線に入った後、長野駅まで通しで運転された。昼行列車は名古屋駅発の長野駅行き急行〔しなの〕〔信州〕と名古屋駅発の新潟駅行き急行〔赤倉〕、多治見駅発の長野駅行き準急〔きそこま〕、夜行列車では名古屋駅発の長野駅行き急行〔あずみ〕、客車準急〔きそ〕、大阪駅発の長野駅行き急行〔ちくま〕が運転。客車準急〔きそ〕には1・2等寝台車(1等寝台はC室)が連結された。普通列車は蒸気機関車牽引の客車列車が多く、長野駅まで直通運転されていた。中央東線(東京~塩尻間)は「第1」「第2」と付した同一列車名の〔アルプス〕〔白馬〕があるが、中央西線では異なる列車名が付けられていた。優等列車の運転本数が改正ごとに増加し、列車名の不足が深刻になった時代であった。
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『JR時刻表』は、前身の『全国観光時間表』から2023年で創刊60年。これを記念し、読者の皆さまへの感謝の気持ちを込めて、2023年4月号から12月号にかけて「時刻表60年」特別企画を本誌およびスペシャルサイトなどで実施中!